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となりの作曲家/上田益 上田益 Susumu Ueda
日常に溢れている「音」は、必ず誰かによって「作ら」れているもの。ただし、このことに気づかずに過ごしている場合が、皆さんほとんどではないでしょうか?このコーナーでは、現在活躍中の人気作曲家、上田益さんにより、知られざる作曲家の素顔をご紹介いたします。「音」を取り巻く世界には何が見え、何が起こり、どんな「想い」で満ちているのか。  3週間毎に更新します! 新コーナー「となりの作曲家」を、どうぞお楽しみください!
profile
1956年大阪生まれ。作曲家、サウンド・プロデューサー。京都市立芸術大学音楽学部作曲専攻卒業。1980年度文化庁芸術家国内研修員に選出される。長野オリンピック・公式楽曲『WINTER FLAME』や広島アジア大会『開会式』『閉会式』のパフォーマンス音楽、『福井市制100周年記念式典』の音楽や、『神戸ルミナリエ』などのイベント用音楽をはじめ、『1リットルの涙』『黒革の手帖』『東京ラブ・シネマ』などのドラマ音楽、アニメ、CMなど、幅広いフィールドで音楽制作を展開。また最近はイラナ(馬頭琴)、黄姉妹(中国琴)など中国の若いアーティストの育成や、中島啓江(ソプラノ)、幸田さと子(ヴァイオリン)、ジャン・ティン(中国琵琶)など、民族楽器やクラシック系を中心にサウンド・プロデュースおよび楽曲提供を精力的に行う。
第12回 はるばるシルクロードへ  感動のちトラブル編(初稿)
いよいよ交流コンサート
 
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シルクロードへの演奏旅行の翌年1993年、福井県武生市(現在は合併して越前市)にある和太鼓チーム「はぐるま太鼓」の海外公演に同行した時のお話です。

10代後半の若いメンバー、私を含めた大人たちのサポートが数人の総勢10数名の一行は、12月中旬に一路アメリカへ向けて旅立ちました。初めてのアメリカ! シルクロードとはまた違った興味もあり、サポートとして和太鼓と一緒にシンセサイザーを演奏する楽しさもあったこの旅。今度はどんな目にあうのやら…。ロサンゼルスに向かう機中では期待と多少の不安が入り交じった気持ちでした。

低予算の海外公演ということもあって、ロサンゼルスに着いた後は、アメリカ国内の移動はすべて陸路。ワゴン車のレンタカーです。4台借りて分乗し、太鼓やシンセサイザーなどの機材を積んで、大人達が交代で運転するという段取りでした。国際免許を持って行ったものの、左ハンドルは初めて、右車線を走るのも初めて。楽しみ半分、怖さ半分といったところでしょうか。

空港で出迎えてくれたのは、日本が大好きだというアメリカインディアンの血をひく人物。名前を忘れてしまったので、通称「カラテマン」としておきましょう。なぜ「カラテマン」なのかというと、彼はロサンゼルスに自分の空手道場を持ち、アメリカ人相手に空手やキックボクシングの指導をしていたからです。

空港近くでGM社のレンタカーを借りたのですが、とにかく車がデカイ! 今でこそ日本でも大きな車体の車が増えましたが、当時はそれほどでもなかったので、そのスケールに圧倒されました。大きな太鼓をいくつも積むとなると、たしかに「デカイ」ワゴン車でなければダメなのですが…。ところが私の目に大きく見えた車も、街中を走る車と比べるとさほど大きくなかったのも事実。やっぱりアメリカは「デカイ」。

 
ウイグルの民が歌う日本の歌
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借りたらとにかく出発です。目的地まで約2,000キロ。もちろん数日かけての移動ですが、すべて陸路での移動となると、なかなか根性が必要となる旅です。最終の目的地はシカゴに近いスプリングフィールドという町。西海岸から、ほとんど東海岸まで横断するような感じです。

カラテマンが運転する先導車に付いて車を走らせること約30分。なぜか海が見えます。そう、まぎれもなく西海岸の海です。「ひょっとして方向が違うのでは?」と思っていると、車列は一斉にストップ。カラテマンは悪びれる様子もなく、道を間違えたからUターンすると告げました。右車線と左ハンドルにまだ慣れていない私たちには、Uターンすることさえままならない状態。そんな中、対向車のクラクションに冷や汗を垂らしながら、4台の車はもと来た道へ逆戻りします。音楽を演奏する前に、アメリカの車と道に慣れる必要を迫られた旅の始まりです。

どこをどう走ったのかもわからないまま、まずはカラテマンの道場見学をし、そのあと「とにかく77号線をしばらくずっと走るから」という指示のもと、先導車を見失わないように必死で車を走らせました。「そういえば『サンセット77』というアメリカのテレビドラマがあったな…」などと頭に映像が浮かぶのですが(そのドラマの77は番地ですが)、思い出に浸っている余裕はまったくありません。

どこに泊まったのかも記憶がないほど、ひたすら緊張しながら深夜まで車を運転し続けたアメリカ演奏旅行の初日でした。

何が起こったの?
 
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2日目は、この旅で唯一の観光が出来る日でした。早朝に出発し、お昼前頃にグランドキャニオンに到着。運転することにも少し余裕が出て、周りの景色も自然に目に入るようになりました。グランドキャニオンへ向かう道は一面土が露出している砂漠状態。多少は樹木も生えているのですが、西部劇の舞台そのままです。

観光とはいっても、展望台からグランドキャニオンを覗くという感じで、間近に岩肌を見たりする時間はありません。日本でもよくあるように展望台から景色を眺めて、土産物屋に入って、という流れだったのが心残りですが、昼食をすませてまたすぐに出発です。
車を走らせること約2時間半。グランドキャニオンから走行距離300キロほど走ったガソリンスタンドで給油と小休止を終え、出発しようとすると、世話役の男性が1台ごとに何やら声をかけています。「いっちゃんは乗ってる?」という声が聞こえ、どの車にも乗っていないことがわかって、ガソリンスタンドのトイレなどをみんなで探すことになりました。

ところが見つからないのです。「いっちゃん」というメンバーが行方不明となったのです。みんな真っ青。メンバーの中でも最年少に近く、たしか当時まだ16歳ぐらいだったと思います。まったく未知の土地で英語もできない少年が行方不明という事態に、私たち一行は愕然としたのです。

「グランドキャニオンでの昼食時にはいた」とメンバーが覚えていたので、「ということはグランドキャニオンを出るときに車に乗ってなかったってこと?」ということになり、カラテマンがグランドキャニオンの食堂に電話を入れたものの、そこに彼の姿はありませんでした。不測の事態を考えると、その重大さは大変なものです。警察署に電話して探してもらうことになりました。待つこと1時間ほどだったでしょうか。グランドキャニオンを管轄している警察署に保護されていることが判明したときには、ホッと胸をなでおろしました。

カラテマンと世話役の男性が「いっちゃん」を迎えに保護されている警察署まで行き、戻ってきたのは5時間ほど経ってからでした。
元気そうな姿を見て一様にみんな安心したわけですが、「いっちゃん」が保護されていた様子を聞いて大爆笑になりました。安心したことで一気に緊張がほぐれたこともありますが、なんと彼はプーさんやミッキーマウスなどの絵が飾られた子供用の部屋に入れられていたらしいのです。

アメリカ人からすれば小柄なまだ16歳の少年は、きっと小学生低学年ぐらいに見えたんでしょうね。

 
砂漠の町から日本へ帰れるのか?
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その「いっちゃん」は、なぜ行方不明になったかというと、グランドキャニオンを出発する時、トイレに入っていたのだそうです。世話役が出発前に食堂もトイレも近辺もすべて確認したものの、彼は大きい方の用をたす所に入っていて、気がつかなかったわけです。集団行動には慣れているグループなので、4台に分乗していても必ずどこかの車両には乗っていると大人たちが思い込んだのが、間違いと言えば間違いだったのかもしれません。

用をたし、すっきりして食堂に戻った「いっちゃん」。目が点になったそうです。そりゃあそうですね、ひとり取り残されていたわけですから。仕方なく、そこまで来たと思われる道をトボトボと彼は歩きはじめたそうです。1時間ほど歩いて、ようやく黒人の家族連れの車に声をかけてもらいましたが、英語が一言も話せない彼は、ひたすら目的地である「スプリングフィールド」とだけ何度も何度も繰り返し言うしか方法がありません。結局その家族は埒があかないと思ったのか、自分の車に乗せ、また「いっちゃん」が歩いてきた道をグランドキャニオンに逆戻りしたのです。その家族からすれば、せっかくの観光だから先に展望台に行きたかったのでしょう。「いっちゃん」はカメラマンをさせられ、家族の写真をひたすら撮っていたそうです。写真は日本人の特技ですから…。
ようやく観光が終わってから、警察署まで送ってくれたというのが事の真相だったです。

本人の不安を思うと笑うに笑えない話なのですが、あまりにストーリーが可笑しくて、一行はその話題でしばらく盛り上がってしまいました。無事だったからこその話ですが…。

今日こそ出発
 
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目的地での演奏は一般のホールなど数ヵ所で行われましたが、何といっても極めつきは薬物中毒関係の囚人だけを収容した刑務所での演奏です。当日は朝から霧が立ちこめていたため、万が一脱走すると危険だからということで、演奏会の開始が遅れました。
銃を所持した刑務所の職員が見張っているとはいうものの、音響のスタッフも囚人、観客もすべて囚人となると、さすがに緊張。ところが演奏会が始まると、和太鼓やシンセサイザー、エレキギターが奏でる迫力あるサウンドに、みんな熱心に聴き入ったのです。何台もの日本の伝統楽器・和太鼓が打ち鳴らすリズムはパワーが漲り、身体の奥底まで揺らす迫力です。そこにシンセサイザーやエレキギターが加わるサウンドは、彼らにとっては未知の体験でもあり、東洋的なエキゾチズムに惹きつけられたのだと思います。
演奏会が終わったときには拍手の嵐。囚人達が握手を求めてきたりして、なんとも不思議な交流でした。

印象的だったのは、地元の酒場でブルースの生演奏をやっているお店を訪れた時のことです。カラテマンが「日本からミュージシャンが来ているから、一緒に演奏をしてみないか?」とバンドのメンバーに交渉。同行していたギタリストと私は、大歓迎されての飛び入り参加となりました。ブルースのスタイルまではわかりませんが、各パートにソロ演奏を回しながら展開する即興の楽曲を演奏。定番の和音進行と音階を使いながら、日米混合即席バンドの演奏開始です。
バンドのメンバーからは「なかなかやるじゃないか!」的な視線が送られ、酔っぱらった客席の反応も上々。
演奏を終えて呑んでいた席に戻ると、金髪の女性客が何やら早口で話しかけてきます。どうも「良かったけど、なんで日本人がブルースを演奏するんだ?」みたいな内容で、予想はしていたものの、やはり高飛車な目線を走らせます。
まぁ彼女からすればアジアの人間が、アメリカの地方都市の酒場でブルースを演奏していることそのものが初体験であり、奇異で不思議な光景だったのでしょう。ベタな小屋での「民間交流」は果たしてできたのか!? 自問自答を繰り返したものです。

この体験は、後々私の音楽の方向性に大きな意味を持つことになりました。
前の年にシルクロードの旅をして思っていた感情と同じものでした。それは「自分はアジアの人間なんだ」ということです。

アジアに根差した音楽を自分のライフワークのひとつにしようと改めて強く思った瞬間でした。

 
飛ばない飛行機
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アメリカでの滞在は約2週間。帰りは途中宿泊せずにロサンゼルスまで戻るという過酷なスケジュールでした。12月23日にスプリングフィールドを発ち、約2,000キロを26時間ほどかけての旅程です。運転するものと仮眠をするものに分かれて、ひたすら走り続けました。ロサンゼルスの町に近づくと高速道路は大渋滞。クリスマス休暇で移動する車の数の多さは、日本のお盆や年末年始の大渋滞の比ではありません。何しろすべてが「デカイ」のですから。

ようやくホテルにたどり着いても、近所のレストランはどこもお店を閉めています。日本であればかき入れ時のはずですが、開いていたのはホテルのレストランだけ。長旅の終わりはロサンゼルスの小洒落たレストランでという思惑は、もろくも崩れ去ったのでした。

「いっちゃん行方不明騒動」が中心になったような最初のアメリカ訪問でしたが、自分の音楽の依り処を認識できたという意味で、とても収穫のある旅だったと思っています。

そして「私はまぎれもないアジア人」だということを骨の髄まで認識した旅でもありました。

シルクロードに続いて、当時の上田さんはひっきりなしに過激な演奏旅行に明け暮れていたのですね。ロスからシカゴあたりまでといえば、もうひと山越えたら北米横断の快挙?! の距離。ホントにお疲れ様でした。さて、アジア人としてのアイデンティティーを自覚したくだり…酒場でのセッションが象徴的でしたね。クラシックの五嶋龍君、ジャズの秋吉敏子や小曽根真が多国籍楽団で演奏したって何の問題もないのに…。むしろチック・コリアと上原ひろみのピアノのかけあいなんかは仲のいい親子の「音あそび」にさえ映るというのに…。きっと日本の田舎で演歌のジェロ君が熱唱して、公民館に集まったお年寄り達が「何でアメリカ人が…」ってな感じなのでしょうね。都市と田舎の「音楽格差」とはかくなるものか、です。でも、そこで上田さんはある種の啓示を受けたわけですから、結果オーライ。閑話休題。さて好評連載の第14回。今夏リリースされた上田さん6枚目のアルバム「そらとうみのあいだ」制作にまつわるお話。作曲家としての、ミュージシャンとしての苦闘があからさまに語られます。次回「冒険家」からやっと「音楽家」にもどった? 上田さんの活動ぶりをお伝えできます。上田さん、もっか11月のコンサートに向けて酷暑の中で仕込みに励んでいます。応援メールをどしどしくださいね。次回更新予定は9月10日ごろです。
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