「島唄は、うやふじが紡ぐ命ある唄」
文・写真:新原恭子
私の祖父母は鹿児島県大島郡喜界町という所で生まれ、約70年前に東京に出てきた。鹿児島本土と沖縄本島の中間に位置する奄美群島の喜界島。サトウキビと白ごまの生産が盛んで、黒糖焼酎と黒砂糖は最高!遠い昔、僧俊寛や壇ノ浦の戦いで負けた平資盛他一族が流れ着いたという伝説が残る、一周するのに車で一時間もかからない小さな隆起珊瑚の島である。
子供たちは、近所のおじちゃんおばちゃんから、まるで我が子のように怒られ、褒められ、旧暦で行う豊年祭には、その集落にある土俵でまわしを着けて相撲を取り、十五夜のお月様の下、土俵を囲んで夜中まで太鼓を叩きながら唄い踊る大人たちのなかで育つ。
唄者の家系でもなく、小さい頃から喜界島は「親戚がいる田舎」程度の感覚だった私にとって、「島唄」は、小さな空港で流れているお年寄りの唄でしかなかった。それは沖縄の島唄と一緒だとさえ思っていた。
そんな私が奄美の唄を唄いたいと思ったのは、
現在の私の師匠・朝崎郁恵の唄うCD『海美』を聴いた時。
一曲目「おぼくり〜ええうみ」という唄にある、
最初の「あ〜らや〜し〜き〜」という出だしの声、
これだけで自然に涙がボトボト流れた。
「感動」という言葉ではちょっと違う
ワクワクするような感覚とも違う
ふつうの興奮とも違う、静かな衝撃。
それは初めての感覚だった。
血がグルグル体中音を立てて駆けめぐり、細胞の核の部分が反応した感じ。
その頃オリジナルのポップスを歌っていた私はいわゆるソウルミュージックが好きだった。ゴスペルにも影響を受けた。ワークショップに参加するためニューオリンズにも飛んだ。そこで客席に座っている隣の普通のおじさんの鼻歌にも感動してしまった。マクドナルドの店内にいる子供の机をたたく遊びのリズム感にもウズウズした。かっこよく思えた。これはこの人たちの文化だ。ソウルだ。私のソウルって何だろう?
同じ頃、歌と共に好きで続けていた着物の文化交流で南米・グァテマラに行って、日本の民族衣装である着物を紹介する機会があった。でも、民族『音楽』 を大好きな歌で紹介できなかった。悔しかった。どこでもすぐに、アカペラで、「これが日本の唄です」と自信を持って歌えるようになりたいと、強く思った。
そんな時に出逢ったのが『海美』のCDだ。
これだ!! と思った。
それから私は「朝崎郁恵」のライブに通い詰めた。
なぜこんなにも惹かれるのだろう?
哀調を帯びた旋律の中を泳ぐように行ったり来たりしながら、ときどき裏声が入る。
体の底から絞り出すような裏声を聴いているとある時は、浜辺で体いっぱいに受ける風と一体になっている姿が目に浮かび、またある時は、先人の魂の叫びのようにも聞こえてくる。
場所も時間も超えて
いつの時代か、はるか昔の人と話しているような……。
意味もわからず、まるで外国語のようにしか聞こえない島言葉が、どうして魂に訴えかけてくるのか不思議だった。
そして、私は朝崎に唄を教えてほしいと伝えていた。
忙しい朝崎から初めて電話があったのは、それから一年ほど経ったある日。
「うちへいらっしゃい」。
嬉しくて、体が震えたのを覚えている。
奄美の唄は何を唄うのか。
まずは、会話。
即興でありご挨拶でもある。
「朝花節」より
♪稀れ稀れ汝きゃ拝でぃ 神の引き合わせに 稀れ稀れ汝きゃ拝でぃ
(対訳:神の引き合わせで久しぶりにお会いできて嬉しいです)
♪拝まん人む拝で知りゅり 命長めとれば 拝まん人む拝で知りゅり
(対訳:長生きすると今まで出会えなかった人とこうして出会うことができて本当にありがたいです)
そして、教訓。
唄は半学問(半分学問をしたのと同じ)というのだ。
「はまさき」より
♪浜先に 這ゆる根ぬかでぃらよ 生え先ぬ無だな 元に戻ろ
(対訳:浜辺に根がひとつ咲いているかずら(グンバイヒルガオ)は、辺り一面に根を付けるために広がっていく、だが先の方には根が付かないために根元に戻ってくるしかない→「何ごとも思うようにいかない場合は原点に帰りなさい」という教訓)
♪天ぬ美ら星や 読みば読みなりゅりよ 親ぬ教すぃ事や 読みやならぬ
(対訳:天で輝いているきれいな星は数えれば数えることができる。親からの教えごとは数えることができないほど尊いものだ)
こんな話も聞いた。
昔(師匠の祖母の時代)は、唄で争いごとを解決していたという。
山争い・土地争い・水争いにおいて、唄掛けをして唄が出なくなったら負け。その物は取られてしまう。
言ってみると、教養比べだ。
何とも平和的な解決法だろう。
究極の理想論かもしれないが、私はブッシュとフセインが唄で対決している姿を想像した。
朝崎のそばで島唄を学ぶようになった私にとって、いつも一番に頭に浮かび、いつまでも大切にしていたいと思うことがある。
「唄が喜ぶよ〜!」
師匠はよくそう言う。
師匠にとっては「私」は主役ではなく、「うやふじ」(ご先祖様)から受け継がれてきた「唄」が主役なのである。
それまでの私は、「私」のために歌ってきたような気がする。もしくは聴いてくれる目の前の人のため。
そして、歌は自分の「モノ」だった。
しかし、唄は人と同じ生き物、「命」のあるものなのだ。
そんな奄美の唄は、千年も前の唄といわれている。
楽譜が無く、口伝。
誰かが欠けていたら今までつながってこなかったことを思うと本当に貴重で(それなりに少しずつ変わってきてはいるだろうけれど)、一生懸命守ってきたすべての「うやふじ」に感謝する。
だから途絶えさせちゃいけない。
しっかり学んで覚えて、伝えたい。
いつか巡り会えるであろう子供に。孫に。
そしてこんな唄が、「命」があるってことを
皆さんに。
島唄は
奄美だけでなく、
日本中、きっと世界中で共通する「命ある唄」。
親を大切にしよう
命を大切にしよう
言葉では簡単で、当たり前すぎること。
でも、大人にも子供にも、どこの誰にとっても同じで、通じ合えることである。
島人でもない、東京で生きる私。そんな私が島唄を唄う。
私は私が生まれたふるさとで。
グァテマラで唄えなかった母国の唄も、今なら、心から唄える気がするのだ。
命あふれる唄が今も残る奄美に、皆さんも一度足を運んでみてほしい。
そこで、みなさんの「唄」を、感じていただければ、とても嬉しい。
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